「悲しい人がいたら、慰めてあげられるような友達になりたい」
「なんで、『あげたい』なんだよ。傲慢さが見える気がする」
そんな会話を見てたら、ふと思い出した。他人の不幸が大好きな人がいたなぁ、と。
前にも書いたと思ったが。


比較して自分の方が幸せだと思うためではない。嫌いな奴が嫌な思いするのは愉快だという理由でもない。でも、なんかそっちの方がまだマシな気がする。

不幸な人を慰めたり、義憤に燃えたりするのが大好きな人。だから、そのための「ネタ」にするため、他人の不幸を求めて今日も徘徊。縁が切れてて久しかったはずの友人が揉めていれば駆け付けて仲裁。規約違反で閉鎖されたサイトがあれば、親友面で密告の犯人探し。どうも何かで悩んでいる人がいるらしいと気づけば、無理矢理聞き出して介入。同人活動を阻害するような法律が成立しそうだと聞けば、喜々として蘊蓄語り。

・・・本気で心配したり考えたりしてるんだと思いたい。・・・けど、「大事件☆みなさん、たまにはちょっとでいいから、考えてみましょうよ!!」とか「も〜〜〜!!みんな大人げないんだからぁ。どーしてこんなことするのかなぁ??わたしにはまったくわっかりっましぇ〜〜〜ん!!!」とか言われてそう思えるか・・・(泣)語調が弾んでるとか、そういうとこを除いたとしても、「不幸についての悲しみや怒りそのものよりも、悲しんだり怒ったりしている自分に対するコメントの方が格段に長い」もしくは「不幸を話の枕に、原因と思われてる人や物に対する楽しげな悪口が続いている」ではなぁ。喜んでいるようにしか見えんて。

長さだけが問題ではないだろうけど、自分のことばかりここぞとばかりに語っていないかとか、最低限、それくらいのことはチェックしてから投稿ボタン押した方がいいんじゃないかと思った。話の中身の濃さとかについては、感じ方に個人差あるからどうもならん部分もあるし。


・・・なんか、今日も思考がまとまってねぇなぁ。

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