お金・2
2001年6月15日・・・よく考えたら、「人の心を動かすもの」に関する日記、で「お金の」話って、やな感じだなぁ・・・。今回、モロに、そういう主旨の日記なんだけど。
さて、前回の続き。
貨幣経済って、「お金」っていう、「誰にとっても等価であるもの」を仲立ちにして行われるわけですよね。まあ、余暇との釣り合いで、1円の重みもまた、変わってくるものではあるけど、基本的に、100円分の米は100円で買える。100円分の米は100円で売れる(薄利多売を考えて、大口取り引きだと安くする場合が多いけれど、ややこしくなるから、そこは考えない)。物々交換で、AとBを交換しようと思っても、Aの持ち主がBを、Bの持ち主がAを欲しいのでなければ、取り引きは成立しない。そこで、人数を増やし、物も増やし、順繰りに物を交換していけば、わらしべ長者のように、いつか、自分の本当に欲しい物に辿り着くかもしれないけれど、あまり、効率がいいのではない。そこで、出てくるのが、誰にとっても価値を持ち、変わる(腐る)ことなく、何とでも、喜んで交換してもらえるもの=貨幣、だったわけです。最初の頃は、金とか、銀とか、貴金属そのもので、貨幣の形にはなってなかったと思ったけど。一々、量るのが面倒だから、決まった重さの塊に刻むようになって・・・それが、今度は、貨幣そのものを潰した場合の価値とはつりあわないものも出てきて・・・「金の裏づけ」のない金が出てきて、それだからこそ、経済は発展したんだよな〜。ない資源に空手形きれるなら、繁栄なんて、いくらでも出来るもの。そんなん、ただの空中楼閣で、結局、バブルは弾けたわけだけど。・・・ああ、話、逸れた。・・・結局のところ、貨幣経済って、AとBとの交換を特殊なCである貨幣を仲立ちにしてやるってだけで、物々交換と根底は変わってないのだと思います。
んで、最初の疑問に戻る。
「金で作品を売るのは是か非か」
何度も、頭を下げにくる、というのは、余暇の重みの大きい人にされれば、十分な代価といえようが、そうでないならば、代価とは言い難い。
また、たとえ、余暇の重みの大きい人から、何度も頭を下げられ、口説かれようとも、口説かれる側には、何も益はない。自尊心を満足させる、ということも、価値はあることではあるが、今度は、それは、口説かれる側が口説く側から評価される、ということを、どの程度に評価しているかで変わってくる。
そうすると、作品と矜持に見合うだけの代価を払い、誠意と熱意を示すのには、お金は不適当とは言い難いと思う。それを受けて行動するのは、別に恥ずかしいことではないと思う。金に目が眩み、自分の心を汚すならば、それは、また別ですけど。
最後の、「金で売ったのは、作品なのか、魂(理想、主義)なのか」というところが一番のポイントであるのに、なんで、同人にしろ、ミュージシャンにしろ、周囲の人は、まず、後者だと思いたがるのでしょうか?・・・「安く、自分がいいものを手に入れたい。・・・出来れば、ただで」と思っているから、金銭による評価を否定したいだけ?ファンだと言っている人までが、「××は金に目が眩んであの仕事を引き受けた」呼ばわりしていたりすると、そうなんじゃないかな、という気分になります・・・。
でも、やっぱり、お金のこと言うと、イメージ悪いんだよねぇ・・・。
さて、前回の続き。
貨幣経済って、「お金」っていう、「誰にとっても等価であるもの」を仲立ちにして行われるわけですよね。まあ、余暇との釣り合いで、1円の重みもまた、変わってくるものではあるけど、基本的に、100円分の米は100円で買える。100円分の米は100円で売れる(薄利多売を考えて、大口取り引きだと安くする場合が多いけれど、ややこしくなるから、そこは考えない)。物々交換で、AとBを交換しようと思っても、Aの持ち主がBを、Bの持ち主がAを欲しいのでなければ、取り引きは成立しない。そこで、人数を増やし、物も増やし、順繰りに物を交換していけば、わらしべ長者のように、いつか、自分の本当に欲しい物に辿り着くかもしれないけれど、あまり、効率がいいのではない。そこで、出てくるのが、誰にとっても価値を持ち、変わる(腐る)ことなく、何とでも、喜んで交換してもらえるもの=貨幣、だったわけです。最初の頃は、金とか、銀とか、貴金属そのもので、貨幣の形にはなってなかったと思ったけど。一々、量るのが面倒だから、決まった重さの塊に刻むようになって・・・それが、今度は、貨幣そのものを潰した場合の価値とはつりあわないものも出てきて・・・「金の裏づけ」のない金が出てきて、それだからこそ、経済は発展したんだよな〜。ない資源に空手形きれるなら、繁栄なんて、いくらでも出来るもの。そんなん、ただの空中楼閣で、結局、バブルは弾けたわけだけど。・・・ああ、話、逸れた。・・・結局のところ、貨幣経済って、AとBとの交換を特殊なCである貨幣を仲立ちにしてやるってだけで、物々交換と根底は変わってないのだと思います。
んで、最初の疑問に戻る。
「金で作品を売るのは是か非か」
何度も、頭を下げにくる、というのは、余暇の重みの大きい人にされれば、十分な代価といえようが、そうでないならば、代価とは言い難い。
また、たとえ、余暇の重みの大きい人から、何度も頭を下げられ、口説かれようとも、口説かれる側には、何も益はない。自尊心を満足させる、ということも、価値はあることではあるが、今度は、それは、口説かれる側が口説く側から評価される、ということを、どの程度に評価しているかで変わってくる。
そうすると、作品と矜持に見合うだけの代価を払い、誠意と熱意を示すのには、お金は不適当とは言い難いと思う。それを受けて行動するのは、別に恥ずかしいことではないと思う。金に目が眩み、自分の心を汚すならば、それは、また別ですけど。
最後の、「金で売ったのは、作品なのか、魂(理想、主義)なのか」というところが一番のポイントであるのに、なんで、同人にしろ、ミュージシャンにしろ、周囲の人は、まず、後者だと思いたがるのでしょうか?・・・「安く、自分がいいものを手に入れたい。・・・出来れば、ただで」と思っているから、金銭による評価を否定したいだけ?ファンだと言っている人までが、「××は金に目が眩んであの仕事を引き受けた」呼ばわりしていたりすると、そうなんじゃないかな、という気分になります・・・。
でも、やっぱり、お金のこと言うと、イメージ悪いんだよねぇ・・・。
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