鬱再発

2001年6月3日
鬱気味です。理由話す気力がない程度には。

・・・HPに「私は鬱」と書ける人って、厳密には鬱じゃないよな、そういえば。前にも確か書いたけど、看護婦やってる人に、「あんた程度のは鬱じゃない。本当の鬱の人なら、何もする気になれないはずだ」呼ばわりされて、「本当に重症でなけりゃ、それでいいってのかよ!?そもそもの元凶のくせに!!」「何もしないではいられないんだよ、責任者としてはなぁ!吐こうと、倒れようと、結果は出してみせるぞ」と思ったから、思い出して今、ふと思ったんであって、それを思い込みだの、甘いだのなんだのと言いたいわけではありませんが。・・・それなのに、アングラで「本当の鬱病患者」とやらのHP見て、「やっぱり、真剣に命のこと考えてる人の言葉は重みが違うね!!」とはしゃぎまわっていたんだよな、その人。看護婦全般がそうではないとは勿論思ってるけど、医療関係者に対する不信感は強まった・・・。


関係薄い話書いたら、少し、気力が沸いてきたので、ちょこっとだけ。

ずっと、「直接、被害を及ぼしたわけでなし、いいか」と思ってきた友達について、本当は許せないでいるのを考えないようにして誤摩化してきてたみたいです。持ち物も雑踏の中に落としたまま、走って逃げて、どこか飛び降りれそうな場所を探していたのに、その直前に言われた言葉が、どれほど私を傷つけたか、ちっともわかりはしなかった人達。

それなりに順調な人生歩んできた人が、いくら逃げとはいえ、中退することを選んだということが、どれほど重いことなのか、言われなくてはわからないのだろうか?言われても、取り返しなどつかない人生の選択を簡単に否定し、馬鹿にされたのが、どれほど悔しかったか、言われなくてはわからないのだろうか?酒が入ってれば、すべてが「酔っていたから」という理由のみになるのだろうか?

たとえ、酒に酔った勢いで言い過ぎたとしても、こちらもそれで過剰反応したとしても(仮定であって、事実ではない。酔ってない今現在、更に怒っている)、その後、一度たりとも謝っていない相手を許すような義理がどこにあるというのだろう?それなのに、「一緒に会えないと不経済的。とっとと、仲直りしたらいいのに」などと、まるで私が許さないのが悪いように言われるのでは、たまらない。・・・まあ、謝ったからと言って、許すとは限らないし、最近は、「あれよりひどい人を見たおかげで、前ほど許せなくはなくなってきたから、会えというなら会えないこともないかな〜」とも思ってたんだから、それだけが原因ではないんだけど。

自分が理解し得ない範囲の厳しさやこだわりは「思い込みが激しい」という評価になるらしい。しかし、見ている限りで、「比較的穏やか」な人は、怒れるかどうか微妙なところの人については触れない主義なだけで、怒ったり説教したりする必要なくても、「間違っていると断定して良さそう」な意見については、まず確実に断定形で話してくるような気がする。関係ないなら、ほっとけよ、口出すな・・・とは言わないが、単に、自分には理解出来ない、とか、自分が知らない事情がある、とか、そういう可能性くらいは考えた発言して欲しい。私だって、よく知らない揉め事聞いたら、「不幸なすれ違いがあっただけではないの?」というのは、一番最初に聞いてしまう気もするが、少なくとも、「どっちも悪い」には固執しないな。そもそも、「どっちも悪い」はどちらにも、追求されるべき悪い点かあるのであって、だから痛み分け、という考え方は変だろ。仲直りするときには、義理と建前で「ううん、私も悪かったし」と言うけど、そう言わないと話にならないだけで、実際にそう思ってる人はたぶん、いないんじゃないだろうか?それなら、先に詫びいれてるはずだし。

服買うために食事に遣う金減らすのは理解出来ても、同人に遣うために他を削るのはわからない人。衣食住、そして趣味、すべてにおいて、ある程度以上楽しくやりたいという気持ちはわかっても、ひとつの一番大切に思うもののために、他を全部犠牲にするという人の気持ちはわからない人。「自分にとって、楽しいことがしたい」というのは、何も変わらないのに。「私は違う」はともかく、どうして、「他の考えは間違ってる」になるんだよ・・・。応用力ないんじゃないかなぁ?

私はなんだかんだ言いつつ、どっちかというと、サービス精神旺盛なんで、実は要望があれば不本意でも仲良くしたりすることもあるんだけど(ちゃんと、どっちがどの点で悪かったのか、本人はともかく、周囲が理解してくれてる場合限定)、いつもの言動が厳しすぎるせいもあって、みんな、「言っても無駄・・・」と思っているようなフシもある・・・。これは自業自得だから、文句は言わないけど。私は私で、5割話した時点で、やっぱり、自分の考えにのみ固執されたら、「こいつには、話すだけ無駄」って思って、以後、詳しく説明はしなくなるし。

「どこに行っても異邦人」的な私でも、「自分が自分でいられるところ」だったので、母校の校風をとても誇りに思ってきましたし、今でも、それは変わらないのですが、同じOGである人を「友人」と思うのすら嫌になってきたのは哀しいです。なんだか、心底、宇宙の迷子になったような心細い気分で、久しぶりに自分を要らないもののように思いました。・・・電波きてそうな発言だな(笑)


・・・どこが「ちょっと」?(苦笑)
元々、書くことで自己の解析と整理をしている部分があるせいもあってか、書き始めると長くなるらしいです。やっぱり、何があっても、原稿さえやってれば、大丈夫な気もしてきた・・・(死)

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