わかりづらい文章の書き方・下
2001年1月27日続き。
あと、日頃の行いとか、状況とかも、文章の構成要素かね?
たとえば、「私はカバンを持って逃げる蟻の後を追った」という文章。これだと、きちんと、句読点を打ってなくても、「私はビスケットを持って逃げる蟻の後を追った」という場合と違って、間違いなく、カバンを持っているのは蟻ではなくて、私だとわかりますよね?他には・・・「ネットの閲覧は自由とは言っても、危害を与えることが明らかである場合、それは適用されません」っていうのを説明したときに、相手が自分が危害与える可能性がある人物と認識出来ている可能性が高いか低いかによって、そのことを指摘する必要性って、変わるってのがありますね。まず、確実にわかっているであろうことをわざわざ指摘するのは、文章が長く、読みづらくなるだけでなく、相手の不快感や的はずれな反論を増やすだけ。逆に、自分の常日頃の言動や、前のメールと違うことを言うときは、確実に、それに対する説明が必要になると思います。そうしないと、「嘘つき」になるのは必至でしょう。・・・っつーか、私は思ったよ、「嘘つき」って。嘘つくんでも、それを隠す努力はしろやー!!矛盾を指摘されてから、後づけで理由つけても、「言い訳がましい。嘘くさい」としか、思われないんだったら。・・・ああ、これも「状況」のうちか。
これを一般的な小説等で考えると、いつもは冷静なキャラが、読者が納得するような状況なしに、突然、突飛な行動をとったりするってなるのかな?オリジナルもだけど、パロディでそういうことされると、「おまえのは、名前と顔が◯◯だってだけで、◯◯じゃねぇー!!」という気分になります。
掲示板で、内輪ネタばかりするのも、これと一緒かな。内輪の話でも、みんなが見るところに書くなら、ちゃんとみんなが見てわかるように書きや。
言葉というのは、ある程度の幅を持っているが故に、便利でもあり、不便なものでもあると思います。書かれていない部分からも、読み取れることがある。だから、文法的に、用法的に間違ってても、意味は汲み取れる場合もあるし、正しくても、いまいち、よくわからないこともある。
・・・これ+元々の論理構成能力やら文章力でわかりづらいってメールが来たんだよう(泣)しかも、1通じゃないし。疲れた・・・
あと、日頃の行いとか、状況とかも、文章の構成要素かね?
たとえば、「私はカバンを持って逃げる蟻の後を追った」という文章。これだと、きちんと、句読点を打ってなくても、「私はビスケットを持って逃げる蟻の後を追った」という場合と違って、間違いなく、カバンを持っているのは蟻ではなくて、私だとわかりますよね?他には・・・「ネットの閲覧は自由とは言っても、危害を与えることが明らかである場合、それは適用されません」っていうのを説明したときに、相手が自分が危害与える可能性がある人物と認識出来ている可能性が高いか低いかによって、そのことを指摘する必要性って、変わるってのがありますね。まず、確実にわかっているであろうことをわざわざ指摘するのは、文章が長く、読みづらくなるだけでなく、相手の不快感や的はずれな反論を増やすだけ。逆に、自分の常日頃の言動や、前のメールと違うことを言うときは、確実に、それに対する説明が必要になると思います。そうしないと、「嘘つき」になるのは必至でしょう。・・・っつーか、私は思ったよ、「嘘つき」って。嘘つくんでも、それを隠す努力はしろやー!!矛盾を指摘されてから、後づけで理由つけても、「言い訳がましい。嘘くさい」としか、思われないんだったら。・・・ああ、これも「状況」のうちか。
これを一般的な小説等で考えると、いつもは冷静なキャラが、読者が納得するような状況なしに、突然、突飛な行動をとったりするってなるのかな?オリジナルもだけど、パロディでそういうことされると、「おまえのは、名前と顔が◯◯だってだけで、◯◯じゃねぇー!!」という気分になります。
掲示板で、内輪ネタばかりするのも、これと一緒かな。内輪の話でも、みんなが見るところに書くなら、ちゃんとみんなが見てわかるように書きや。
言葉というのは、ある程度の幅を持っているが故に、便利でもあり、不便なものでもあると思います。書かれていない部分からも、読み取れることがある。だから、文法的に、用法的に間違ってても、意味は汲み取れる場合もあるし、正しくても、いまいち、よくわからないこともある。
・・・これ+元々の論理構成能力やら文章力でわかりづらいってメールが来たんだよう(泣)しかも、1通じゃないし。疲れた・・・
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